Last Supper, Last Song #1

 

人として、この美しき地球で最後に口にするもの、
選べるとしたらあなたは何を思い浮かべますか。

 

もう10年も前、ある男性誌(既に廃刊)に、東京・ニューヨーク・ロンドン・パリ・ミラノで活躍するビジネス・エグゼクティブをひとりずつピックアップした小さなコーナーがあった。

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行きつけの店や好きな時計のブランド、今乗っている車、描いている夢などを回答させるもので、見る人によっては共感を得にくいスタイリッシュな固有名詞がコーナースペース狭しと並んでいた。それだけなら選ばれた人のスタイルや雑誌自体のクオリティが想像できてしまうため毎月読もうなどとは思わなかったろうが、ひとつだけ、私の購読理由となったのが5問中最後のクエッション。

「最後の晩餐は何がいい?」

編集部がこの質問を投げかけた意図はいくつも考えられるが、おそらく5つほどの質問の中で最もパーソナルで正直に答えたくなるものではなかったか。

回答をひとつひとつ見てみると、世界中を飛び回り知識・経験・自信を身につけた彼等とは言え慣れ親しんだ食べものを選んでいたあたりは人間くさくて誰しも好感を持ったはずだ。

東京。ごはん・お味噌汁・納豆、お漬物など日本男児を誇りたくなる答えが多かった。「最後は極上の米」には思わず「そうかこれも捨て難い」。

パリジャンは食にも美しさが感じられる。生牡蠣を冷えたシャンパンで味わうとか、最後はりんごのプディング、とか。ロンドンボーイも子供の頃から食卓に上っていたであろうフィッシュ&チップスやビーンズ・オン・トーストなど選ぶところが愛らしい。

ファミリーを大切にするミラノの男性は、こちらも納得、お母さん、おばあちゃんの作るイタリア料理を挙げ、ニューヨーカーは、ああやっぱり、な「ステーキ」が大半を占めた。

地域性もさることながら暮らしぶりや育ってきた環境、また男性らしさ ― 大袈裟に言うと別れ際の男の美学たるものを垣間見ることができたようで、毎月大いに楽しませてもらった。最後の晩餐は決して悲しげなものなどではなく、彼等にとって、また私たちにとって「好き」と「思い出」を集約した、人生のフィナーレを飾る、まさにパーティーメニューであると言えよう。

けれどこのコーナーで最も気に入ったのは、選ばれた食べものの数々よりも彼等の答えが実に明快だという点だった。

性別に限らず、価値観や美意識をしっかりと持っている人は誰かを目標に掲げるでもなく日々を懸命に生きる自分の中から理想の人間像を創り出している。
まだるっこしいことを言ったが要は「ブレてない」。

「最後の晩餐」は彼等の、そんな本質を引き出そうとしたクエッションだったのではと思ったりする。「最後の最後」という究極の選択をスパッと言い切るかっこよさを、編集部は想定していたのではないだろうか。

常に潔く、清々しく自分らしさを表現できる己でありたいものだ。

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「最後の晩餐」に出会ってからしばらく経ったある日、ツイッターで尋ねてみた。

「The Last Supper、あなたなら何を選ぶ?」

読者のターゲットが絞られた雑誌とは違い世界中のあらゆる職業を持つ人たちからの回答には、駄菓子屋に溢れる見たこともないお菓子を集めたような楽しさがあった。5つ星の高級ホテルで出会うメニューから家庭で生まれた創作料理、アメリカが誇るピーナッツバター&ジェリー(サンドウィッチ)まで。

そして私。
「20XX年現在、揚げたてのクリスピーなフレンチフライ。理由などない。365日好きなのだ」

多くの人たちから共感を得られたものの、価値観・美意識の欠片も感じられない何ともブレブレな回答。そしてこの答えが未だ変わらないことに、融雪の始まった北海道でカルディコーヒーファームのミントココアを飲みながらちいちゃくなって恥じる、2017年3月のとある日曜日である。

清々しい己を築き上げるにはまだまだ修行が足りない。

top photo by Emmy Smith