Mothers Dayと母の想い

3月26日の日曜日はイギリスの「母の日」であった。前日は女友達と昼から息抜きを楽しんでいたこともあったし、義母には夫から事前にカードを贈っていたのですっかり失念していた。

日曜日の朝、キッチンで自分のためのコーヒーを淹れていた私にニコニコと息子2人が

「Happy Mothers Day, Mum.」とカードとキスをくれた。ああそうだったと思い出した。

見ると13歳になる長男のカードに、

「いつも優しく見守ってくれてありがとう。毎日家のことや僕たちの世話、大変だと思う。心から感謝しています。愛してるよ。」と書いてあった。

ちょうど思春期なこともあり、いつもは「ああ、うん。別に。」が口癖の長男。ムッツリと言葉数の少ない難しい年頃で何を考えているのか正直わからないこともあり、こんなことを書けるようになったのか、と感慨深いものがあった。

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欧米はカード文化で、誕生日はもちろん結婚記念日やバレンタイン、クリスマスなど家族間でカードを贈りあう習慣があるが、私には何年たっても体になじんでこない。日本人であるがゆえか、家族間なのに「面倒だな」と感じるところもある。

夫からの感謝のメッセージはもらっても、まぁ嬉しいことは嬉しいが、申し訳ないことにそこまで心に響かない。が、やっぱりこればっかりはしょうがない。子どもからのカードや贈り物は特別で無条件に嬉しく涙もろくなる。母親とはそういうものなのかもしれない。

思えば、私はかつて母にこういう手紙を書いたことがあるだろうか。あげた本人は思い出せないものだが、たぶんどの母親も子どもからもらった手紙の内容やプレゼントなど、言葉にはしないが心の記憶に残っているのではないかと思う。

我が母と言えば、気が強いわりにとても心配性で寂しがり屋。私が独身の頃は、田舎から出て行った私に何年たっても帰ってこいやら、あんたが泣いてる夢を見たと言っては電話をかけてきたりした。こんなのどこでも買えるのに、と思わせる小さな頃に好きだったお菓子や果物を飽きるほど送ってきたりもした。

私がカンボジア~ベトナムに旅行に行ったときなど、心配症なので一応宿泊先と旅のルートを教えておいたところ、カンボジアでの宿泊先に「うちの娘はそこに泊まってますか?」と連絡してきたくらい、英語ができないにも関わらず。それが伝わったということは必死に何度も私の名前を連呼し、ようやく通じたということなのだろう。帰国してから「電話したんだけど、昨日出発したよ、みたいなことを言われた。」と安堵した声の母から報告を受けた時は、彼女の心配症の度合いに心底呆れたものだ。

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海外旅行が好きで、まったく落ち着かないそんな私にも年貢の納め時がきた。当時つきあっていた今の夫とは母も何度か面識があったが、結婚すると報告したときの母の反応が今でも忘れられない。

この人と結婚したいのだけど、いいかな?と尋ねたところ、母は少しびっくりしたような顔をした後うつむき、そしてグッと顔を上げ

「そっか、良かった!彼ならお母さんも安心だよ。ほら、イギリスなんてね、飛行機に乗ればいつだって会えるし、近いもんだわ。うん、おめでとう!」

近いもんだ、なんて。根っからの田舎者で飛行機が怖くて海外にも行ったことのない母だ。今思えばせいいっぱいの虚勢であったのだろう。

今になって思う。あのとき、母は娘が遠くに行ってしまうのではないかという寂しさと不安で、ただただ複雑な思いであったのだろう。けれど目の前の娘を見ればわかってしまったのだ。娘はもう自分の手から離れ歩き出しているのだということを。

それ以降は二度と戻ってこいなどと言わないようになったし、しょっちゅうあった連絡も少なくなった。頑固者の父への説得も根回ししてくれ、私はなんの障害もなく夫と一緒になることができた。実家に帰れば私の夫に「私の息子だから」と可愛がってくれ、外人さんだからと彼の好きそうなご飯を工夫して作ってくれたりもした。不器用だったができる限りの気を配ってくれ、母には感謝あるのみである。

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海外生活をする方の多くは、数多くの家族との想いや別れのストーリーがあるだろう。それは日本にいても離れていれば同じことなのかもしれないが、親からしたら異文化で生活する子どもたちの生活は想像し難いものであると思う。日本人だからと言って苦労してないだろうか、もしものことがあったら助けてくれる知人はいるのだろうか、いくつになっても心配は尽きることがない。

ただ、私にも遠くない将来必ず来る、息子たちを送り出すときが。外国に行ってしまう可能性もあるし、逆に日本の可能性もある。そのとき上手に言えるだろうか、あのときの母のように笑顔で。今はまだ自信がない。

母の日に毎年思う。改めて言葉にするのは照れくさくて言えなかったが、今日の息子のようにちゃんと伝えればよかった。

「心から感謝している。愛しているよ。」と。

この想いが天国の母に伝わることを願って。