In the Letters〜魔法使いのSealing Stamp

子どもの頃から、お気に入りの書店で見かけるたびいつか欲しいなあと思っていた「シーリングスタンプ」。けれど学生にはなかなか手を出しにくい価格だったし、社会人になってからは忙しさに負けて誰かに手紙を書くことさえ忘れかけていた。買っても、使う機会があるだろうか…飾りになってしまわないだろうか、なんて不安(今となっては言い訳だったのだけど)を抱き、いつも購入する勇気が出ず眺めているだけ。こんなのを使いこなせたら素敵だろうなあ、なんて憧ればかりが募っていくばかりだった。その当時は、カラフルで素敵な柄のマスキングテープが自分の中でいちばんのブームで、使い勝手の良さももちろんだけど、貼り方や好みの柄を見つけるたびにデスクの上のコレクションは増えていくのだった。

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アムステルダムに来たばかりの頃、街を散策していたら偶然見つけた文房具のお店。随分古くからあるようで、よく手入れのされた木のファサードがとても美しい。ショーウィンドーにはタイプライターや色とりどりのレターセットが並び、オリジナルのスタンプデコレーションがなされている。店内にはひとつひとつセレクトされたであろう羽ペンやインク、見たこともないような美しいレターセットがあり、一瞬で時代が巻き戻ったような世界観にうっとりした。気難しそうな店主はカウンターの中でなにやら作業をし、アトリエも兼ねているようだ。店内は撮影禁止。そのこだわりや実直さが惹かれるポイントでもある。ショーケースの中には数々のシーリングスタンプが並び、忘れかけていたあの道具への熱が思い起こされたのだった。間近で見ると、やっぱり素敵。

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ある年のバレンタインデー。その日、女性から男性に、という風潮が当たり前だと思っていた私に、初めてプレゼントをくれた男性がいた。バレンタインデーにプレゼントをもらうなんて体験がなかった私は驚いて、その場で封を開けることができず、楽しみに持ち帰るね、と言うのが精一杯。まして出逢ってから日も浅く、よく知らなかった人だからなおさらだ。驚きすぎて、ドキドキしてまともに顔を見ることさえできなかった。よく知らない人からプレゼントをもらうという行為はリアクションが求められている気がして、本音を言うと少し苦手である。選ぶこと、あげること、驚かせることは心の底から大好きなんだけれど。

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ひとりになり、恐る恐る包みを開けると、てのひらサイズの小さな箱が入っていた。その中にあったのは、なんとシーリングスタンプのセット。ぽってりとしたガラスの瓶に入ったワックス、真鍮とウッドのスプーンに、私のイニシャル「K」のスタンプが。そして私の好きなカーキ色のワックス。それはさながら魔法使いの道具のような神秘的な雰囲気で、今まで憧れの存在だったものが私の手のひらに収まっているという信じられない出来事にそれはそれは大興奮。声は出さずとも心が踊り、一度もそんな話をしていないにも関わらず私の潜在的に好きなものを見抜かれてしまった事実に、たちまちその人への信頼は絶対的なものへと変わっていた。

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真新しい真鍮のスプーン(メルティング・スプーンという名前だと知った。名前も可愛らしくて好き。)にふた粒ほどワックスを入れ、そっとキャンドルの炎で炙る。いつか、そんなシーンを昔の映画で見たことがあるような気がする。当時はこんな、自分がそれを使う時が訪れるなんて夢にも思っていなかった。それも小さく心が踊るような出来事と一緒に。

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その儀式は、まるで魔法使いが何かを始めるときのよう。じわりじわりと溶けていくワックスを眺めながら、なんてお礼を伝えたら良いのかを考えていた。そして、なんで私が好きなものがわかったんだろう、と思っていた。その場で包みを開けなかった私の好みを確かめるように、少し不安げな質問をいくつか受けたのを覚えている。開けなかったのは失礼だったかもしれないし、でも開けたところで上手な驚き方ができただろうか。驚きすぎて言葉が出なかったかもしれない。本当に昔から欲しかったものだけど、そのまま伝えてもなんか嘘っぽく聞こえないだろうか?

こんなことをもやもやと考えてしまうから、プレゼントをもらうのはとても苦手なんだ。

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もしもまた一緒にコーヒーを飲む機会が訪れたら、この間うまく笑えなかったことを謝ろうと思っていた。笑っていたかもしれないけど、驚いていたからひきつり気味だったに違いなかった。そして、なんでわかったの、とか、どうしてあのお店を知っているの、とか、聞いてみたいことがたくさんあった。うまく言葉にできないし、そわそわとする気持ちが近づいてくる。なんだか心地が悪いはずなのに、そんなことを思い浮かべている時間は嫌いじゃなかった。そしていつまでもこのままの時間が続けばいいのに、とさえ思っている自分がいた。

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今、そのシーリングスタンプはときどき一緒に使うようになっている。イニシャルが同じ「K」というのはなんとも奇遇な出来事だった。聞いてみたかった質問は煙に巻かれ、まだ真実はわからないまま。ときどき本当に魔法使いなのかもしれない、と思う瞬間がある。だけど、知らないままでいるのも悪くないかな、と思っている。今は、まだ。

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